2008年12月10日

播戸竜二〜The Magical Player 4【クラブW杯に出場するガンバ戦士たち】

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◆ハングリー精神
 1998年に兵庫県・琴丘高校から練習生として、ガンバ大阪に入団した。高校当時の播戸を知る者によれば、「琴丘にはもっとうまい奴がいて、播戸はそれほどでもない。」という評価だった。実際にスピードはあるが、テクニックという点では特筆すべきものがなかったが、播戸には他人よりも優れていることが1つあった。

 それは、ハングリー精神である。

 入団当初のガンバ大阪は、シーズン途中でコンシリアからフランス人のアントネッティに監督バトンを渡すという前代未聞のチーム作りを行っていた。(前年に大躍進し降格の可能性が低かったことや、1997年オフにクゼ監督をクロアチア代表に強奪されたという事情もあったが・・・)新たに就任したアントネッティは、同じフランス人のトルシエ以上の熱血漢で、ことあるごとにガンバの若手のハングリー精神のなさを嘆いていた。「ガンバの選手はサッカーで成功もしていないのに、高級車を乗り回している。私の感覚では考えられない。」という有名なセリフを残しているが、ガンバの中で際立ってハングリー精神が旺盛だった播戸は1年目から出場機会を与えられた。



◆ワールドユースでの活躍
 指揮官にも恵まれた播戸は、黄金世代の一員として1999年のワールドユース本大会メンバーにも選ばれた。鳴り物入りでJリーグ入りした小野、本山、中田浩二らのスターに混じり、播戸もその能力を発揮した。特に、0−4の大敗を喫した決勝のスペイン戦では、何度も相手DFラインの裏をとり、「出場停止だった小野がいれば・・・」と思わせる場面を、何度も演出した。



◆スーパーサブ
 順風満帆だったワールドユースとは対照的に、帰国後のガンバ大阪では、監督が早野宏史に代わったということもあり、松波と共にベンチで出番を待つ機会が多くなった。タイルソン、ルイジーニョの冴えない外国人アタッカーの攻撃は頼りなく、スーパーサブの松波と播戸が入ってから、2人のコンビネーションでチームの攻撃が活性化し、試合が動くケースも多くあった。そして、この年のシーズンオフに、ガンバ大阪はセレッソ大阪入りが濃厚だった吉原宏太を強奪し、入れ替わるような形で、播戸は新天地のコンサドーレ札幌にレンタル移籍することを決意する。

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◆新天地
 新天地のコンサドーレ札幌で、播戸は飛躍の時を迎える。岡田武史監督の下、エメルソンと播戸を中心とした堅守速攻のカウンター戦術で、Jリーグを席巻した。播戸は、2000年、2001年シーズンと、2年連続でレギュラーとして活躍した。ちなみに、2001年シーズンは、大黒将志と共にプレーしている。
 ところが、コンサドーレ札幌は裕福なクラブではなく、完全移籍のための移籍金を払えるようなクラブではなかったため、2002年シーズンからは同じ関西のヴィッセル神戸にレンタル移籍する。当時のヴィッセル神戸は、1998年W杯フランス大会の日本代表メンバーをかき集めた客寄せパンダの集団であったが、伸び盛りだった播戸は、ガンバ大阪とヴィッセル神戸で活躍した永島昭浩の背負っていた背番号13を引き継ぎ、エースとして君臨した。2003年シーズンには、ヴィッセル神戸に完全移籍を果たし、2004年シーズンには、ガンバ大阪・大黒将志、セレッソ大阪・大久保嘉人と共に、日本人得点王を争った。(最終的には、大黒将志が20点、播戸竜二が17点、大久保嘉人が16点)だが、2005年シーズンは怪我の影響もあり、満足な活躍ができずに、ヴィッセル神戸も降格。大幅減俸に怒りを表した播戸は、2005年オフに大黒将志、アラウージョを失ったガンバ大阪からのオファーに応じ、再び古巣でプレーすることとなった。(この時の経緯から、ヴィッセル神戸戦では、今でも大きなブーイングを受けることとなった。)



◆古巣での蘇生
 前年度の怪我や成績から、「今のガンバは昔の弱かったガンバと違う。ディフェンディングチャンピオンチームのストライカーとして、活躍できるのか?」という懐疑的な意見もチラホラ聞こえてきた。実際に開幕直後は、マグノアウベスとフェルナンジーニョの2トップにスタメンを譲ったが、ガンバの戦術にフィットしてきたことや、フェルナンジーニョが西野朗の信頼を失ったこともあり、最終的には2トップの一角として君臨し、16ゴールを挙げて完全復活を果たした。翌年の2007年シーズンは、バレー、マグノアウベスに押し出される形で、ベンチを温めることも多かったが、ナビスコカップの浦和戦や、リーグ終盤の柏戦で貴重なゴールを挙げるなど存在感を示し、ガンバ大阪としては異例の「控え選手の年俸アップ」を勝ち取った。また、オシム時代の2007年アジアカップメンバーに選ばれ(本番は、怪我で辞退)、2008年W杯アジア予選でも真冬に半そでで登場し、虎視眈々と代表定着を狙っていた。

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◆戻らないゴールの感覚
 ただ、2008年2月の日本代表参加が、播戸のサッカー人生を狂わせることとなる。播戸不在のガンバ大阪が、パンパシフィック選手権で圧勝したこともあり、ガンバに帰るとバレー、ルーカス、山崎に次ぐ4番手のポジションだった。ホームの清水戦、アウェーの全南戦でゴールを挙げることで、レギュラー定着も視野に入った矢先、足首が悲鳴を上げた。さらに、肝機能障害を患い、長期離脱を余儀なくされた。前年の反省から、怪我をしない体作りを目標にオフにハードトレーニングを敢行したが、2007年は年末まで試合を行っていたためにオフが短かったことや、2月の寒い時期に代表でハードな試合をこなしていたことが裏目に出たのではないだろうか。
 復帰後のプレーも芳しくなく、11月のFC東京戦では、相手GK塩田に「播戸さんが、ファーストトラップに苦労していたので」というコメントでもわかるように、完全にシュートを見切られ、戦犯として非難の集中砲火を浴びた。ただ、ゴールこそないものの、それ以外の動きは完全に戻っており、最終節の新潟戦ではアシストを記録した。今のガンバで彼を推す声は少ないと思うが、ガンバでは播戸以外にストライカーらしいストライカーは見当たらず、クラブW杯と天皇杯を戦う上では欠かせない1人だと思っているので、クラブW杯の初戦でゴールを奪って、勢いに乗ってもらいたいところである。

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posted by マルセリーニョ・カリオカ at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ガンバ大阪選手名鑑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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