2011年12月18日

ガンバ大阪移籍ニュース(2011−2012)〜監督・スタッフ編【宮本恒靖】

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●宮本恒靖(ヴィッセル神戸→引退、FIFA大学院)
【Check Point】
 昨年のオフにも、ガンバ大阪の幹部とスタッフ復帰について極秘会談していた宮本。そのガンバ大阪の下部組織復帰や、J2やタイのクラブからもオファーがあったが、結局現役引退を発表。FIFA大学院へ進学することが決まった。
現役引退のタイミング
 宮本の希望は、「きっちりと1シーズンをレギュラーとして試合出場して引退したい」であり、プレーするクラブについては問題視していないと昨年も報道されていた。現実的に考えると、30%減とは言え神戸の提示した4000万円は、他のクラブでは出せないもの。問題は神戸に残ったとしても、試合に出場する機会はほとんどないことで、ガンバ大阪から高木が加入することが現役引退を決意させた。引退後は神戸のスタッフ入りのオファーを断り、FIFA大学院への進学を発表。宮本は神戸在籍中も何かとガンバに愛着があるという話が伝わってくるだけに、2012年からのガンバ大阪復帰はなくなったが、将来的には道が残された。
【関連記事】
西野監督の宮本関連コメント
スポーツ報知 2011.12.21『西野前監督が宮本にエール「現役以上のチャレンジを」…G大阪』
※今季限りで退任したガンバ大阪前監督の西野朗氏が所用でクラブハウスを訪れ、19日に引退を発表した神戸・宮本にエールを送った。ガンバ大阪時代に指導した教え子に「現役以上のチャレンジをしてほしい。あいつなら、サッカー界を大きくできる」と期待をかけた。
デイリースポーツ 2011.12.21『G大阪、迷走…西野前監督も心配』
※西野監督は初優勝した2005年のガンバ大阪主将で、19日に現役引退を表明した神戸・宮本恒靖氏から18日に連絡を受けていたと明かした。「これからは現役時代以上のことにチャレンジしてほしい。刺激を受けたし、自分もサッカー人生しかない」と、現場復帰への意欲を示した。
日刊スポーツ 2011.12.20『西野氏「宮本は間違いなく監督になる」』
※今季限りでガンバ大阪監督を退任した西野朗氏が、引退を表明した元日本代表の神戸DF宮本恒靖にエールを送った。2006年までガンバ大阪に所属した愛弟子に「現役生活は素晴らしかった。これから現役以上のチャレンジを期待している」と、第2の人生に旅立つ宮本へはなむけの言葉を贈った。前日19日には宮本から「これからしんどい日々が待っています」という内容のメールが届いたという。今後、宮本は指導者になる可能性もあり、西野氏は「オレたちはサッカーでの人生しかない。アイツは間違いなく、そういう(監督の)道を歩むだろうし、それがアイツらしい。サッカー界にも、貢献していかないといけないと思う」と語った。いつの日か監督としての対戦を夢見ているように、西野氏はいつまでも宮本の話を続けていた。
スポニチ 2011.12.20『G大阪・西野前監督 引退した宮本氏にエール』
※ガンバ大阪を10年率い、今季限りで退いた西野朗前監督が、かつてガンバ大阪に在籍した元日本代表主将、DF宮本恒靖氏の現役引退について「驚いたが、サッカー界に貢献しないといけないですから」と第二の人生にエールを送った。2006年までの5年間、ガンバ大阪で共に戦った。19日の引退記者会見の前日に本人から留守番電話で報告を受けたという。今後、指導者を目指す教え子へ「現役時代以上のチャレンジを期待したい」と語った。


日刊スポーツ 2011.12.20『元代表宮本引退「悔いはない」大学院へ』
※神戸の元日本代表DF宮本恒靖が神戸市内のホテルで会見し、現役引退を表明した。タイなど他クラブからオファーもあったが、ピッチ外で貢献できる道を優先して引退を決意した。来年9月には国際サッカー連盟(FIFA)が運営する大学院で学位を取得し、その後に欧州で指導者資格の取得を目指す。17年間のプロ生活に終止符を打った宮本は「人生の約半分ですが非常に短かった」と振り返り「すべてのことが自分を大きくしてくれた。悔いはない」と晴れやかな表情で語った。宮本が留学するのは「FIFAマスター」と呼ばれる大学院で、FIFAがスイスのスポーツ教育機関と提携し英国、イタリア、スイスにある。最短10カ月の授業で日本の修士課程に相当する資格が得られる。日本人では5人目の挑戦でサッカー選手では初めて。英語に堪能な宮本の留学には、日本協会も後押しを約束。日本代表の監督はもちろん、将来の日本協会幹部として抜てきされる可能性がある。「(2人の子どもに)お父さんはサッカー選手じゃなくなるんだよ、と話したら少し寂しそうな顔をしましたが、見守って欲しいと伝えました」。2002、2006年と2度のW杯に主将として活躍した頭脳明晰(めいせき)な宮本が、第2の人生も日本を支えていく。
◆宮本恒靖
1977年(昭52)2月7日、大阪府富田林市生まれ。ガンバ大阪ユースから1995年トップ昇格。各世代の日本代表で活躍し、W杯は2002、2006年と2度出場。国際Aマッチ通算71試合3得点。2002年W杯は鼻骨骨折のためフェースガードを着用し「バットマン」と呼ばれた。2006年末ザルツブルク(オーストリア)に移籍。2009年神戸移籍。J1通算337試合8得点。昨年B級ライセンス取得。176センチ、72キロ。
スポニチ 2011.12.20『宮本 現役引退を表明…FIFA大学院入学を目指す!』
※神戸の元日本代表DF宮本恒靖が神戸市内のホテルで会見を開き、現役引退を表明した。主将として2度のW杯に出場し、オーストリアでもプレーしたクレバーなDFは、欧州に渡ってFIFAマスターというスポーツ学に関する大学院に入学するプランを披露。世界で戦ってきた“ツネ様”が、再び世界に飛び出して日本サッカーの未来を背負うための勉強を続ける。その表情に一点の曇りもなかった。引退会見は新たな道を選んだ宮本の決意表明の場となった。「この17年間に悔いはない。100%、毎日グラウンドでできることをやってきたと思います」。02年のW杯日韓大会後、35歳までプレーするプランを描いた。目標の年齢まであと50日に迫ったこの日、晴れやかな表情で思いをはき出した。引退がよぎったのは11月に入ってから。出場機会に恵まれない中で痛めていた右足首の状態も上向いていたが、神戸からは選手兼任コーチなどの提案を受けた。他クラブからの打診もあり、日本協会からは育成部門のスタッフとして誘われた。幾多の選択肢に迷ったが、3日のリーグ最終節・仙台戦に先発したことで心が決まった。「あの試合に出たことで背中を押された」。ピッチで全てを出し切り、現役への未練はなくなった。引退決意のもう一つの要因は、FIFAが運営するスポーツ学に関する大学院「FIFAマスター」の魅力にひきつけられたからだった。「一人の人間として新たなことにチャレンジしたい気持ちもあって、自分自身を磨くこともできるんじゃないかなと」。ザルツブルクに在籍した3シーズンで強くなった世界志向。来年9月の入学後はスポーツをピッチ外から学び、卒業後も欧州に残って監督ライセンスを取得するプランだ。日本のサッカー選手として誰も選んだことのない未知の領域。FIFAマスター入学への最終試験にパスするための英語リポートの提出も1月に迫っている。「日本サッカーのステータス、レベルが上がるように、そこに貢献したい思いはあります」。日本サッカーの未来を思い、ツネ様があえて困難な道に進む。
▽FIFAマスター
スイスにあるスポーツ教育機関のCIESと提携して運営しているスポーツ学に関する大学院。00年開講。英国、スイス、イタリアにある3大学を巡って、スポーツ組織論やビジネス論などを1年間かけて学ぶ。卒業生はFIFAやIOCなど、さまざまなスポーツ関連の団体に進んでいる。過去に日本人は4人が受講。
スポニチ 2011.12.20『宮本引退試合を神戸で計画!古巣G大阪戦が最有力』
※日本サッカー界に多大な影響を及ぼした宮本の引退試合を、神戸の本拠地で開催する計画が浮上した。クラブ関係者によると、長年の功労を称える形として、来年初旬にもホームズスタジアムでの開催を検討している。対戦相手としては、ユース時代から育ったガンバ大阪が最有力候補に挙がっている。これについて叶屋社長は「具体的な話はまだ進んでいませんが、本人も望むならバックアップします」と説明。クラブはアンバサダーや強化部スタッフとして神戸にとどまってほしいと打診していたものの、「FIFAマスター」という新たな道へと進む本人の意志を尊重し、断念した。
スポーツ報知 2011.12.20『宮本が引退、指導者資格取得へスイス大学院入学…神戸』
※元日本代表主将の神戸DF宮本恒靖が神戸市内で引退会見を行い、来年9月にFIFA(国際サッカー連盟)がスイスのスポーツ教育機関と運営する大学院「FIFAマスター」に入学し、卒業後も欧州にとどまってUEFA(欧州サッカー連盟)公認の指導者ライセンスを取得する考えを明かした。「35歳(になる年度)までプレーするというのは、02年W杯が終わった時に抱いたイメージ。ボールをクリアしたい瞬間、届いていた足が届かなくなったのを感じた」と引退決意の理由を語った。神戸は指導者としての残留を要請し、国内S級ライセンス取得の支援も申し出たが、「欧州の現実、文化を知って、日本に持って帰ることもある」と異国でのスキルアップを選んだ。明言はしなかったが、将来の夢は日本代表監督。「アフリカやオーストラリアのように(アウェーの)欧州で代表戦を行うのが理想」。今後は英語力の向上などに努め、来年9月の入学に備える。
◆宮本恒靖
1977年2月7日、大阪・富田林市生まれ。34歳。ガンバ大阪ユースから1995年にトップ昇格。2007、2008年はオーストリアのザルツブルクでプレー。2009年に神戸移籍。J1通算337試合で8得点。日本代表では71試合で3得点。2002、2006年W杯日本代表。176センチ、72キロ。血液型A。
◆FIFAマスター
2000年開校の大学院。スポーツに関する組織論、歴史・哲学、法律について、9月から翌年7月まで英国、イタリア、スイスの3大学を巡回して学ぶ。入学条件として大卒、高い英語力、卒業後のスポーツへの積極的な関与が求められる。毎年、20か国以上から約30人が受講。過去に日本人4人も在籍し、卒業生はAFC(アジアサッカー連盟)などに勤務しているが、元プロサッカー選手はいない。
サンケイスポーツ 2011.12.20『宮本が現役引退、FIFA運営大学院受講へ』
※神戸DFで元日本代表主将の宮本恒靖が神戸市内のホテルで会見し、現役引退を表明した。2002年日韓W杯では、トルシエ・ジャパンの“フラット3”を巧みに操作するなど、優れた戦術眼と統率力で、日本サッカーを引っ張った。今後は国際サッカー連盟(FIFA)が運営する大学院「FIFAマスター」受講の準備をし、欧州での指導者ライセンス取得を目指す。ピッチへの惜別の涙はなかった。95年にJ1デビューしてから17年。ツネの愛称で親しまれた34歳の頭脳派が、現役引退を表明した。「17年間は短かったですね。それは自分が走り続けてきたから。うれしいことも悔しいことも、苦い敗戦もあったし、歓喜の瞬間もあったし。そのすべてが自分の糧になった。悔いはないです」11月上旬に日本協会からFIFAマスターの話が届いた。「現役を終えたらもう1度勉強しようと思っていた」。母校の同志社大大学院進学も考えていた宮本にとって、興味深い話だった。神戸は残留を要望。現役引退ならコーチのオファーも出していたが、来年2月で35歳。新しい挑戦への野望が芽生えた。W杯には2002年日韓、2006年ドイツと2度、主将として出場した。日韓大会では大会前に鼻骨を骨折し、黒いフェースガードを着用して試合に出場する姿は「バットマン」と強烈な印象を残した。フィリップ・トルシエ監督の戦術の代名詞「フラット3」を巧みに操り、日本の16強進出に貢献。2005年にはガンバ大阪をJ1初優勝に導き、その翌年のドイツW杯でもジーコ監督の信頼は厚かった。1メートル76、72キロの体格はセンターバックとしては小さい。それでも世界と戦えた理由は「ピッチ上だけではない。相手監督の指示、選手同士の会話を分析してプレーしていた。常に考えてきたから17年間プレーしてこられた」。抜群の戦術眼と統率力は、他の選手の比ではなかった。FIFAマスターではスポーツマネジメントやビジネス論などを学ぶ。「困難なことは分かっている。ファンの方には苦しんでいる姿を見てほしい」。ピッチ上と同じ闘志を、新たなチャレンジにも向ける。

サンケイスポーツ 2011.12.20『【宮本トーク】日本のステータス上がるように』
※――引退に至るまで
「ピッチの中で果たせる役割は多くない。ピッチの外で貢献できることの方がこれから多くなると思った」
――印象に残っている試合は
「2002(W杯)ロシア戦がハイライトの1つ。日本のW杯初勝利に貢献できてうれしかった」
――神戸では出場機会に恵まれなかった
「どういう心理状態になるのかを身をもって知った。指導者になったときに生きる」
――欧州で勉強しようと思ったきっかけは
「オーストリアでプレーして、ここが本場だと感じた。いずれ日本に持ち帰ることができるものもある。日本でサッカーのステータスが上がるように貢献していきたい」
デイリースポーツ 2011.12.20『神戸宮本が引退!FIFAの欧州大学院へ』
※神戸の元日本代表DF宮本恒靖が神戸市内で現役引退を表明した。2度のW杯でいずれも主将を務めるなどプロ生活17年間、日本サッカー界を支えてきた知将は今後、国際サッカー連盟が欧州で運営する大学院「FIFAマスター」を来年9月から受講する意向。学位を得た後、欧州での指導者資格の取得を目指す考えを明かした。甘いマスクで人気があり、“ツネ様”の愛称でも親しまれた男の第2のサッカー人生が始まる。ピッチに別れを告げる時が来た。「私、宮本恒靖は、2011年をもって現役を引退することを決意しました」。まばゆいフラッシュを浴びながら、宮本はまっすぐに前を向いて言い切った。これが、宮本流の引き際だ。「35歳まで、というのは2002年日韓W杯が終わった時に抱いた、次のステップへのイメージ。それが神戸との契約を終えるタイミングだった」。契約満了となる今季は出場4試合。選手としての衰えも感じてきた。「置かれている状況、将来を考え、ピッチ内の役割は、もうそう多くはないのかなと」。現役続行も含め、悩み抜いた末に下した決断だった。34歳での幕引きは、新たなチャレンジのスタートとなる。神戸からはコーチなどの残留要請もあったが、日本協会・田嶋副会長の勧めもありFIFAが運営するスポーツ学に関する大学院で学位を取得する意向。「欧州で指導者ライセンス取得のための準備、活動をしていきたい」。日本のプロ選手としては初の挑戦で「現時点で言うのは難しいが、日本のサッカーのレベル向上に貢献したい」と話した。現役最終戦となった3日の最終節・仙台戦は敵地で、強い風雨と劣悪なピッチだった。それでも「最後だなと思ってピッチに立った時は本当にスタジアムって素晴らしいなと。本当にきれいな空間だと思いながらプレーした。でも試合に負けてるから勝ちたいなとか、そういうことも考えていた」。胸の中に悔しさと感謝が入り交じる中、静かにピッチに“サヨナラ”を告げた。主将として16強入りした2002年日韓W杯では、フェースガード姿の『バットマン』で知られた。「マスクをつけた僕を見て、これ誰なんや?とサッカーを知ったり、のめり込んだ人も多かったと思うけど、自分がフィルターとなって興味を持ってもらえたらと思ってやってきた。今後も自分らしくやっていくところを見ていただきたいなと思います」。日本を背負い続けた知将は、サッカー人生第1章を終え、次の舞台へと進む。
デイリースポーツ 2011.12.20『神戸、宮本の挑戦に「サポートしていく」』
※神戸の元日本代表DF宮本恒靖が、神戸市内で現役引退を表明した。神戸の叶屋宏一社長は、11月から宮本と契約延長の交渉をしていたとし、「仮に現役を引退するならば、強化部というかコーチに入って、選手と現場の潤滑油になってくれないかと話した」と明かした。アンバサダーのポストなども提案したが“神戸残留”には至らなかった。それでも「今後も何らかの形でサポートをしていきたい」と宮本の挑戦を支援していく考えだ。宮本は1月22日に横浜で行われる、故松田直樹さんの追悼試合に出場する。その後は渡欧に向けて準備に入る予定で、自身の引退試合については、現時点では未定となっている。
毎日 2011.12.20『サッカー:J1神戸・宮本、現役引退 指導者の資格、欧州で取得へ』
※19日に現役引退を表明した神戸の元日本代表DF宮本恒靖は、第二の人生を欧州でスタートさせる。来年9月から国際サッカー連盟(FIFA)が運営するスポーツ学の大学院「FIFAマスター」を受講し、その後も欧州で指導者資格の取得を目指す考えだ。
毎日 2011.12.19『サッカー:J1 神戸・宮本が現役引退 元日本代表主将、W杯「初勝利」に貢献』
※サッカーの元日本代表で神戸のDF宮本恒靖が神戸市内で記者会見し、今季限りで現役を引退すると発表した。今季が複数年契約の最終年で、クラブからは契約延長のオファーを受けていた。宮本は02年ワールドカップ(W杯)日韓大会で、トルシエ監督の代名詞となった戦術「フラット3」の中心として、日本のW杯初勝利と決勝トーナメント進出に貢献。ジーコ監督が率いた日本代表でも主将を務め、06年W杯ドイツ大会に出場した。ドイツ大会後には、オーストリア1部・ザルツブルクへの海外移籍を果たした。大阪府富田林市出身。ガンバ大阪ユースで育ち、95年にトップチームに昇格。05年、ガンバ大阪のリーグ初優勝も中心的な役割を担った。ザルツブルクを経て09年に神戸に移籍したが、リーグ戦の出場は10年が6試合、今季は4試合と激減していた。J1では通算337試合に出場、8得点。日本代表では国際Aマッチに71試合出場し、3得点。

ヴィッセル神戸 2011.12.19『宮本恒靖選手、引退会見でのコメント・質疑応答全文掲載』
※本日、神戸市内にて行われました、宮本恒靖選手引退記者会見の内容をお伝えいたします。
■(株)クリムゾンフットボールクラブ 代表取締役社長 叶屋宏一:
これまでクラブとして中堅、若手のレベルアップが大きな課題となって行く中で、09年、宮本選手をザルツブルクから獲得しました。彼の日本代表としての姿、W杯の経験、ガンバ大阪での優勝経験、海外での選手経験、と大きな経験と実力を持った選手を獲得できたということで非常に期待していました。実際我々も、選手も、多くの物を学び取る事ができ、クラブとしても着実に成長発展して来たと思っています。今年はそういう意味でクラブとしては最高順位の9位を達成できたのもその大きな要因の1つだと思っています。彼が09年に加入してくれて、3年契約の今年が最終年度となっていまして、クラブとしては引き続きクラブの発展成長に、クラブの一員として関わってほしい、必要な存在だと思い、話し合いを重ねて参りましたが、今回本人から、残念ながら、退団したいという意向を受けました。我々はそれを受け入れて彼の神戸での3年間の功績をたたえるとともに、彼の次なるチャレンジをバックアップさせていただきたいという思いから、今回こういう場を用意させていただきました。改めましてお集まりいただきましてありがとうございました。
■宮本恒靖選手:
みなさん、今日はお忙しい中お集りいただき本当にありがとうございます。私、宮本恒靖は、2011年をもって現役を引退する事を決意しました。ガンバ大阪、レッドブル・ザルツブルク、ヴィッセル神戸、そして日本代表として、この17年間はたくさんの人に支えられながら、本当に充実した日々を過ごす事が出来ました。本当に感謝しています。ありがとうございました。今後はヨーロッパにおいて、FIFAマスターのコースへいくこと、更にヨーロッパにおいて指導者ライセンス取得のための準備、活動をしていきたいと思っています。改めてみなさんこれまで、ありがとうございました。
■質疑応答:
−悩み抜いた末の決断と思いますが、引退の決断に至った理由、経緯を教えてください。
35才までプレーをする、というのは2002年の日韓W杯が終わった時に自分が抱いた次のステップへのイメージでした。それが神戸との3年契約を終えるタイミングだったので、それも理由の1つです。また、去年途中から試合に出る機会が減っていって、いろいろと自分の置かれている状況、将来を考えていくなかで、ピッチの中でこなせる役割というのは、もうそう多くはないのかなと思いました。それよりはピッチの外で、自分がこれまで経験して来たものや、これから習得していけるものでサッカー界に貢献していけることの方がこれから多くなっていくのではないかと思ったので、現役を退こうと思いました。
−FIFAマスターを目指されるという事ですが、その先に、どういうことを目指していらっしゃるのでしょうか? 欧州の指導者なのかJリーグに戻りたいと考えていらっしゃるのか。また今年で3年契約が切れる中で他のクラブからの獲得の話もあったと思うのですが、それよりも引退を決断された理由は?
後の質問から答えると、神戸の方からあり難いお話を戴いた中で、いろいろ考えていく中で、もう少しプレーするのも1つかなと思った時期もあったし、心が揺れている時期もあったんですが、12月3日に今季のJリーグの最終戦、仙台戦があったのですが、そこでプレーする機会を得たということが大きかったと思います。そこでもしプレーしないままシーズンを終えていたら、何か自分の中で、やり残したような気持ちを持ったまま終わる事になったのかもしれないが、あの試合に出た事で自分の中で迷っていた気持ちも、背中を一押しされたような気持ちもあり、あの試合をする前には、「これが神戸での最後の試合になる、現役の最後になるな」というような覚悟を持って試合に臨みました。他のクラブからも少し興味があるという話を戴きましたが、先ほども話したように、自分が思う選手をやめるタイミングと、自分が新しく見つけた、挑戦したという興味の対象がみえたことで、現役を続けるより、新しい分野でやくほうがいいと思ったのでそちらを選びました。FIFAマスターにいくと、それこそ忙しいので、そこにかかりきりになってしまうと思うので、それ以降にヨーロッパでライセンスを取得したいし、取得できた暁にはいろいろな選択肢をもって自分の道を選んでいきたいと思っています。やっぱり、日本に帰って来て、日本で仕事させてもらうにしてもいろんなタイミング、ご縁があると思いますので、そういうものが全てうまくいった時に選択をしたいなと思います。
−仙台戦のピッチに立った時の気持ち、終わった時の気持ちを教えてください。一言で言うのは難しいと思いますが、17年間のプロ生活において、思い出に残っている事を教えてください。
最後だなと思ってピッチに立った時は本当にサッカー場、というか、スタジアムって素晴らしいなと。本当にきれいな空間だと思いながらプレーしていました。残念ながら雨がすごくて、ピッチコンディションはおそらく、サッカー人生でも一番悪いくらいの状況でしたが(笑)、試合中はああ楽しいなと思いながらやっていましたし、これで終わるのは寂しいなという気持ちもありましたし、でも試合に負けてるから勝ちたいなとか、そういうことも考えていました。終わった時は負けてしまったのですが、一つ区切りがついたのかなという感覚をもっていました。17年間は本当に一言で言い表すのが難しいのですが…ちょっと話長くなりますが、10才の時に、新聞で『日本、W杯の開催地に立候補』っていう記事を見た時に、父親と「うわあ、これでW杯が日本で見られる機会ができるね」っていう話をしたんですが、まさかそのピッチに自分が立って、プレーできるとは思っていなかったし、そういう意味では、自分がプロに入った時に、日本代表とししてプレーできるというような自信は正直なかったですが、それが現実になり、そういうところでプレーできたことが一番印象に残っていると…一言で言うならばそういうことになります。
−今回の決断にご家族からはどのようなねぎらいの言葉があったのか。17年間のサッカー人生において最も思いでに残っている試合と、理由を教えてください。
家族には11月終わりくらいに相談したのですが、いいんじゃないか、と。それは両親もそうですし、自分の家族、妻もそうです。子供たちに説明するのは難しかったけど、お父さんはサッカー選手じゃなくなるんだよと言いました。そう伝えたら、少し寂しそうな顔をしましたが、「これからもお父さんも頑張っていくので、一緒に家族として見守っていってほしい」という話はしました。一番印象に残っている試合は、02年W杯のロシア戦が自分のサッカーキャリアの中でもハイライトの1つだし、日本のW杯における初勝利に貢献できてすごく嬉しかった思い出があります。
−宮本選手を通して、サッカーを好きになった子供さんがたくさんいらっしゃいます。そういった方たちや宮本さんが常に大事に考えられてきた子供たちへ、メッセージをお願いします。
ファンの方には…特に02年の時にマスクをつけた僕の姿を観て、これ誰なんだ?ということでサッカーを知ったり、のめり込んだ人も多かったと思いますが、そのように自分がフィルターとなってサッカーに興味を持ってもらい、サッカーだけじゃなくて、Jリーグや日本代表や、サッカーを好きになってもらえたらいいなとやってきました。確かに、僕が貰ったファンの方からの手紙にもそういう言葉が書かれていましたし、それは一つ自分の役割としてできたかなと思います。そういったファンの方には、これは別にお別れではないので、これからも自分らしくやっていくところを見ていただきたいなと思います。また子供たちには、サッカーを楽しんでもらいたいし、サッカーにのめりこんでもらいたいと思います。ただ、サッカー以外にも大切なことというのはあると思います。勉強もそうだし、友だちと遊ぶ事もそうだし、お父さんやお母さんの話をしっかり聞く事もそうだし、自分がその時々、目の前にしていることに100%集中して生活していってもらいたいなと思います。それが自分の人生にも生きてくると思います。たくさんの可能性を持った子供たちにはたくさんの可能性を追究していってもらいたいと思っています。
−17年間、宮本選手の人生の中でこの時間はどういう時間でしたか?また、FIFAマスターですが、かなり大変そうですが、これからの人生の時間はどうなるであろう、と想像していますか?
17年間は短かったです。それは多分自分が走り続け、走り抜けて来たからそういう風に思えるのでしょうが、人生の約半分なので、長かったり、短かったり、いろんな嬉しい事悔しい事もありましたし、苦い敗戦、歓喜の瞬間もあったし、それらすべてが自分の糧になって自分を大きくしてくれたと思いますので、この17年間に対して悔いはないですし、100%毎日、グラウンドでできることをやってきたつもりです。それが終わる寂しさはもちろんありますが、たぶんそれは時間をかけて徐々に、気持ちも身体も、現役のプロ選手じゃないということを受け入れていくんじゃないかなという風に今は思っています。FIFAマスターを受けるということは、すごく難しい部分もあると思いますが、いま34才、もうすぐ35才になる一人の人間として、もう一度何か新しいことにチャレンジしたいという気持ちが強くて、困難なことは分かっていますが、それに挑戦する事で自分が更に自分自身を磨けるんじゃないかなと思っています。だから現役を終える寂しさはありますが、新しいことにチャレンジして行くんだ、トライしていくんだというポジティブな気持ちもあります。
−欧州でFIFAマスターを学び、将来は指導者を目指されるということですが、10年後、20年後、例えば、どんなクラブで、どんな監督になりたいのか。今の時点で将来像を描いていれば教えてもらえますか?
今までサッカー選手として、サッカー選手からみたサッカーしか見えてなかったと思いますが、FIFAマスターにいったり、他の立場に立った時にサッカーの違った部分って見えてくると思うんですね。それをもとに、指導者の道で、どちらかというとサッカーの現場に近い部分で、サッカーに携わっていきたいと思うのか。もう少し違った視点から、日本のサッカーの成長に貢献していきたいと思うのかは、もう少し時間が経たないと、ハッキリ言えないと思っています。もちろん、10年後20年後継続してサッカーに携わりたい、日本に於いてサッカーのステイタスが高まるように、サッカーのレベルがあがるように貢献していきたいと思っていますが、10年後、20年後にどういう立場からというのは現時点で言うのは難しいです。
−今、日本のステイタスをあげたいという言葉がありました。いま描かれている日本のサッカーへのビジョンがあれば教えてください。
今、たくさんの選手が海外でプレーをしていますし、若い選手がどんどん海外にいこうとしている今のトレンドもすごくいい傾向にあると思います。ゆくゆくは、アフリカのチームやオーストラリアのチームがヨーロッパに集合して、そこで国際試合をこなすように、日本の代表チームもヨーロッパで…例えば、ロンドンで、集まって試合をして、また各ヨーロッパに所属している選手は各国に帰り、日本の選手はまた日本に帰るというような、そういう時代がくるのが理想だと思うし、そういう時代がくれば、おそらくW杯でもいまのベスト16というのを超えて、もっと上にいけるんじゃないかと思います。
−宮本選手から見て今の日本サッカーで足りないと思うところ。また、今後、FIFAマスターとしてそういう役割を担って行く中でご自身がどういう役割を果たしていきたいかお伺いしたいのですが。
日本代表ということなら、ザッケローニ監督のもとでどんどん進化していっているし、どんどん若い選手が出て来て力をつけていると思います。この前のアウェイでの北朝鮮戦のような、アウェイでの厳しい戦いというのは、今は経験の浅い選手たちがそういう積む事でどんどんチーム力は上がって行くと思いますから、そういった厳しいアウェイでの試合をこなしていってもらいたいなと思います。それは個人だけではなくチーム力のアップにも繋がりますし、チームとしての結束力にも繋がると思います。自分がこなしていきたい役割については、自分自身を磨いていきたいというのがありますが、FIFAマスターには20数カ国から人が集まってきますから、そこでの人の繋がりも出来ると思うんですね。それは将来的に、日本のサッカーの発展にも繋がると思っているのでそういった人脈づくりも出来ればいいなと思います。
−最後の現役時代3年間を神戸でプレーされましたが、この3年間での思い出と、神戸サポーターの方にメッセージをいただければと思います。
願わくは3年間フルで出て、神戸でキャリアを終えたかったのですがそうはいきませんでした。でも、そうやって試合に出て来た自分が、そういう立場に置かれた時に何を思うか、という心理状態を身を以て知った事は、今後自分が指導者としてやっていく上でも活かされるものだったと思っています。神戸に来た時はまだまだプロ意識というか、練習のレベルにしてもそうですが、少し首をかしげるところもありましたが、ここ最近は練習からもレベルはあがっていると思うし、今年クラブ最高順位の9位になったことで、クラブ、個人にも自信が芽生えてきていると思うんですよね。来年新戦力も増えると聞いていますし、今ある神戸のベースとそうした新戦力の人たちがもたらす質の部分がうまくあわされば、更にいいチームになっていくんじゃないかと思います。神戸のファンの方にはなかなか、プレーをする姿を見てもらえなかったのは残念だったのですが、どちらかというとガンバ色の強かった僕を受けいれてくれて、応援してくれたことに本当に感謝しています。
−ポジションとしてはDFとして決して体格的には恵まれていた訳ではない中でこれだけトップレベルでキャリアを積まれて来た。自身のプレーにおけるこだわり、意識してやってきたことは?
ピッチ上での戦いだけではなくて、事前の情報収集だったり、ピッチ外で起こっていること…例えば、相手監督の指示とか、選手同士の情報の伝達のしあいなど、細かな情報も自分にインプットしながら、どうすれば優位にたてるか、プレーの予測がつきやすいか、ということを常に考えていたと思います。もしも自分が195センチとか、本当に大きな選手ならたぶんそこまで考えずにプレーしていたのかもしれませんが、常に考えて来たことで17年間プレーしてこれたのかなと思います。
−田嶋副会長から協会としてのサポートと言う話がありました。協会として、いち個人に対してのサポートしては異例と思いますが、それに対してどういうお気持ちですか。
田嶋副会長のコメントは非常にありがたく、光栄に思います。田嶋さんと初めてお会いしたのは1993年になります。当時のU-17の世界選手権の準備期間で、合宿をしているところに来られた時に初めて話しをしました。それから代表チームで活動するたびに、いろいろ気にかけていただいて、現役後、こういう道に進む時にもバックアップしていただけることで、本当に心強く思います。具体的にどういうサポートをしてもらえるかはこれからのことになります。協会としてもいろんなノウハウ、コネクションがあるので、そういったものを活用できるように協力していきたいというお話はいただいているので、それは本当に嬉しく思っています。
−FIFAマスターのシステムについて宮本選手が理解されて、そこにいきたいと思われた時期はいつで、きっかけはあったのでしょうか?
初めて知ったのは11月の頭くらいです。自分としては常に思っていたのは、現役を辞めた時にもう一度勉強したいと思っていました。同志社出身なので同志社の大学院で勉強する事も探りましたし、神戸の大学に問い合わせたこともあります。ただ、サッカーとはなかなかリンクしないなということを思っていた時に、自分がやりたいサッカーの部分とスポーツマネジメントの部分でフィットするな、マッチするなと思ったので挑戦したいと思いました。(日本にとどまらずに、世界で、と思った理由はありますか?)それは多分オーストリアで2年間プレーしたことが大きかったと思います。ヨーロッパにいると国が近い事もあって、本当にそこでの動きが本当に身近に感じられる状況に身を置くと、ここが本場なのかなということを感じました。日本にいてももちろんできることはあるのですが、そういう違った環境に身を置く事で自分が鍛えられる事もあるだろうし、もう一度、ヨーロッパにいって芸術や文化を知ることによって、もう一度日本に帰ってきた時に持って帰ってこれるものがあると思っています。
−FIFAマスターについて来年9月からキャリアを始めるという事ですが、年明けから準備はヨーロッパでされるのでしょうか。どういう準備プランをもっていますか?
準備をするのは日本にいてもできますし、すぐにヨーロッパにいくわけではないです。コース自体は9月から始まりますのでその前に行くと思いますが、準備に関しては日本でやることになると思います。
−17年間のプロ生活の中で最も凄い選手だなと思った選手は?ライバルという存在がいたのであれば教えてください。
凄い選手はたくさんいますからね。昔の話でいえば、ガンバでのチームメイトだったエムボマは彼は日本人の感覚にない、アフリカ特有の発想でプレーしていましたし、01年に会ったイタリア代表のトッティ、00年のシドニーで闘ったロナウジーニョ、04、05年のジェラードの速さであるとか、05、06年のカカのプレーなど本当にたくさんいますね。そういうこの選手のここがすごい、ということは若い選手には伝えています。そういうものは伝えられる立場にあったので出来るだけ還元してきたつもりでいます。ライバルは…同年代の選手は気になる存在でしたし、この間、残念な事に亡くなってしまった松田直樹や、森岡隆三という選手の存在は自分自身、刺激を受けましたし、彼らに負けないように頑張らなければいけないなと思っていました。
−松田直樹選手ですが、彼が亡くなられたことで、宮本選手の今後のサッカー人生を考える上で何か影響はありましたか? 当時の心情ということでもいいのですが。
横浜F・マリノスから松本山雅にいくという話を聞いた時にすごく難しい選択だっただろうなと思いながら、それ以降の試合の記録なども追いかけていましたし、そこでどんなプレーをしているのか見ていました。本当にそれが志半ばになってしまって…自分がJFLでプレーする事があったらどうなんだろうということも、もちろん考えたのですが。自分はマツほど気持ちを前面に出すようなプレースタイルじゃないし、自分がああいう立場になったときにどうかということはもちろん想像はしました。それは難しいだろうなとも思いましたし…そうやって、プレーする機会がある立場にある訳だから頑張ってプレーしたいなということはその時点では思っていました。
−数多くの指導者の元でサッカーをされて来たと思いますが、印象に残っている指導者はいらっしゃいますか?
中学時代にお世話になった川本先生には、自分がリーダーとして、初めてキャプテンを任された監督なのですが、どうふるまうか、どうすべきかということを常に考えさせてもらったと思っています。またガンバユースの時にお世話になった上野山さんにはサッカー選手としての基盤を作っていただいたと思っています。プロになってからは、西野さんには自分がある程度持っていたサッカー感を更に攻撃的にしてもらったと思っていますし、トルシエにはこういうチーム作りがあるのかと気づかされたし、日本の若い選手の目線を高くしてくれた人だったと思います。ジーコは日本代表のキャプテンを任された、信頼してもらった監督いうことで印象に残っています。
−17年間たくさんの方が応援された方と思いますが、ファンの方へメッセージをいただけますか?
日本のスタジアムに訪れるといろんな年齢の方がいますし、男女、子供、たくさんの人がいます。そういう方たち、サポーターの方たちの存在があっての、日本のスタジアムの雰囲気の良さだと思うので、今後もぜひその良さは続けていってもらいたいと思います。いろんなスタジアムにいって、いろんな声援をいただいたのでそういう方々には、本当にお礼を言いたいと思います。これからもぜひスタジアムに足を運んでいただきたいと思います。
日刊スポーツ 2011.12.19『【神戸】元日本代表の宮本が引退を表明』
※元日本代表主将で神戸DF宮本恒靖が神戸市内のホテルで記者会見し、現役引退を表明した。宮本は2002年の日韓大会、2006年ドイツ大会のW杯でともに日本代表の主将を務めるなど、国際Aマッチに71試合出場した。2005年にはガンバ大阪のリーグ初優勝に貢献し、その後、オーストリア1部リーグのザルツブルクに移籍。2009年からは神戸でプレーしたが、出場機会が年々減り、今季は4試合出場にとどまった。
日刊スポーツ 2011.12.19『【神戸】宮本「役割は多くないと思った」』
※現役引退を表明した神戸DF宮本恒靖のコメント。「35歳までプレーするのが2002年のワールドカップ(W杯)が終わった後に描いたイメージだった。今季途中から出場機会が減っていって、ピッチの中で自分が果たせる役割は多くないと思った」。
日刊スポーツ 2011.12.19『【神戸】元代表の宮本引退 大学院へ』
※J1神戸の元日本代表DF宮本恒靖が、神戸市内のホテルで現役引退を表明した。今季最終節、12月3日の仙台戦に立ったことで踏ん切りがついたといい「余力を残して去りたかった」と独特の美学を披露。今後は国際サッカー連盟(FIFA)が欧州で運営する大学院に進み、将来は欧州で指導者ライセンスの資格取得を目指す。宮本は17年間の現役生活を振り返り「人生の約半分ですが非常に短かった」と笑顔。最大の思い出に「W杯のピッチに立てたこと」をあげた。「現役を終える寂しさはありますが、新しいことにチャレンジしていくんだ、というポジティブな気持ち」と話した。1995年にユースからガンバ大阪入りした宮本は、2007年からオーストリア1部リーグのザルツブルクでプレー。2009年に神戸に移籍したが、3年目の今季は出場4試合にとどまった。国際Aマッチには71試合に出場して3得点、Jリーグでは337試合で8得点だった。
日刊スポーツ 2011.12.19『神戸の宮本タイのクラブ移籍へ』
※神戸の元日本代表DF宮本恒靖が来季、タイのブリーラムPEAへ移籍することが有力になった。今日、神戸市内で会見する。宮本は今季で神戸との契約が満了。今季はリーグ戦出場がわずか4試合と激減し、先月末には再契約の提示を受けたが年俸は大幅にダウンしたとみられる。最終仙台戦に先発した宮本は「まだやれる、という感覚とやりたいという思いを感じた」と現役へのこだわりを捨てきれず、金銭面より出場機会を求めて移籍先を探っていた。宮本は11日に行われたファン感謝デー後、タイの2チームからオファーがあることを明かしていた。ブリーラムPEAは、今季のタイリーグで優勝。来年のACL(アジア・チャンピオンズリーグ)に出場し、柏と同組で対戦する。
スポニチ 2011.12.19『宮本引退「役割は多くないと思った」欧州で指導者資格の取得目指す』
※サッカーの元日本代表主将で神戸のDF宮本恒靖が神戸市内のホテルで記者会見し、現役引退を表明した。今後は国際サッカー連盟(FIFA)が運営する大学院を受講後、欧州で指導者資格の取得を目指す。宮本はワールドカップ(W杯)の2002年日韓大会、2006ドイツ大会でともに日本代表の主将を務めるなど、国際Aマッチに71試合出場した。記者会見で宮本は「35歳までプレーするのが2002年のワールドカップが終わった後に描いたイメージだった。今季途中から出場機会が減っていって、ピッチの中で自分が果たせる役割は多くないと思った」と話した。
スポニチ 2011.12.19『考え続けた17年 宮本 欧州での勉強は「ここが本場だと感じた」から』
※決断について語る宮本の口調は、プレーぶりと同様に冷静だった。
―引退に至る経緯は。
「ピッチの中で果たせる役割は多くない。ピッチの外で貢献できることの方がこれから多くなると思った」
―印象に残っている試合は。
「2002年のロシア戦がハイライトの一つ。日本のW杯での初勝利に貢献できてうれしかった」
―現役時代に心掛けていたことは。
「どうすれば優位に立てるかを考えていた。常に考え続けたことで17年間、プレーできた」
―神戸では出場機会に恵まれなかった。
「どういう心理状態になるのかを身をもって知った。指導者になった時に生きる」
―欧州で勉強しようと思ったきっかけは。
「オーストリアでプレーして、ここが本場だと感じた。いずれ日本に持ち帰ることができるものもある」
―今後の活動について。
「はっきりとは言えないが、サッカーに継続して携わる。日本でサッカーのステータスが上がるように貢献していきたい」
スポニチ 2011.12.19『元日本代表・宮本 現役引退 契約延長オファー断る』
※神戸の元日本代表DF宮本恒靖が引退することが分かった。19日の会見で正式に発表する。今季で神戸との3年契約が終わる宮本に対しては、神戸が11月に契約延長のオファーを出し、複数のクラブも獲得に動いていた。だが、今季は4試合の出場にとどまったことで、熟考を重ねた上で引退を決断した。1995年にガンバ大阪のユースからトップに昇格。その後は主にセンターバックとして、クレバーな守備で一時代を築いた。トルシエ監督が率いたU−23日本代表で2000年シドニー五輪に出場。W杯は2度出場し、2002年日韓大会ではフラット3の統率者としてベスト16に導いた。2006年ドイツ大会はジーコジャパンの主将を務め、国際Aマッチ出場は歴代16位の71試合に及んだ。クラブでは、2005年のガンバ大阪のリーグ初優勝に貢献。ザルツブルク(オーストリア)への移籍を経て、2009年から神戸に在籍していた。神戸からは何らかの形でクラブにとどまってもらいたいと打診されており、19日の会見では17年間のプロ生活を振り返るとともに、今後の方向性を示すもようだ。
◆宮本 恒靖
1977年(昭52)2月7日、大阪府富田林市生まれの34歳。ガンバ大阪ユースから95年にトップ昇格。06年シーズン終了後にザルツブルクに移籍。09年に神戸に加入した。J1通算337試合出場。日本代表では02年日韓大会、06年ドイツ大会とW杯に2大会連続で出場。1メートル76、72キロ。
スポーツ報知 2011.12.19『元日本代表・宮本が引退…神戸』
※神戸の元日本代表DF宮本恒靖が今季限りで引退することが分かった。19日に神戸市内で発表する。今季で神戸との3年契約が切れる宮本は、将来の指導者就任も見据え、推定7000万円から大幅の減俸を受け入れて残留する意思を見せていた。タイの2クラブからのオファーもあったが、ガンバ大阪から同じセンターバックのDF高木が加入したことなどで、急転、現役を退くことを決意した。今季はリーグ戦出場が自己最少の4試合に終わっていた。W杯は2002年の日韓大会、2006年のドイツ大会では主将として出場し、チームをまとめた。
◆宮本 恒靖
1977年2月7日、大阪・富田林市生まれ。34歳。ガンバ大阪ユースから95年にトップ昇格。その後06〜08年はオーストリアのザルツブルクでプレー。09年に神戸移籍。J1通算337試合8得点。日本代表71試合3得点。02、06年W杯日本代表。176センチ、72キロ。血液型A。
サンケイスポーツ 2011.12.19『神戸・宮本去就、19日記者会見』
※神戸は、元日本代表DF宮本恒靖が19日に神戸市内で「来シーズン以降の契約」に関する記者会見を行うと発表した。2009年に3年契約で入団したが、今季リーグ戦は4試合の出場にとどまっていた。推定6000万円の高額年俸もあり、関係者は「退団する方向で話は進んでいる」と明かした。今後は現役引退か移籍か、去就が注目される。
デイリースポーツ 2011.12.19『宮本が引退…神戸はスタッフ入り打診へ』
※神戸の元日本代表DF宮本恒靖が、今季限りで現役を引退することが決定的となった。19日に正式発表される。2002年日韓、2006年ドイツと2大会連続でW杯に出場したが、今季のリーグ戦出場は4試合にとどまった。チームから来季も契約を延長する提示を受けていたが、宮本自身が引退への決断を下した。将来的には指導者への転身も選択肢に入れており、神戸がコーチなどのポストを用意する可能性もあるという。日本サッカー界を引っ張ってきた知将がスパイクを脱ぐ。今季限りで契約満了となる宮本に対して、神戸は来季以降の契約延長を提示していたが、宮本はこの日までに契約を結ばないことをクラブに伝えたもようだ。プロ17年目となった今季、リーグ戦の出場はわずか4試合。それでも、準備を怠らず高い意識で練習を行う姿勢を、クラブ側は高く評価していた。宮本は去就について「年内中には決めたい」と語っていたが、複数の選択肢の中から熟考した末、決断に至った。ガンバ大阪在籍時は、クラブ初タイトルとなる2005年のリーグVに尽力した。常勝軍団の礎を築き、今季までにJ1通算337試合に出場。2006年末にはオーストリアのザルツブルクに移籍し、欧州でのプレーも経験した。日本代表としてはU‐17代表から各年代で主将に抜てきされ、2度のW杯など国際Aマッチ71試合に出場。2002年大会ではベスト16入りに大きく貢献した。来季に向けて、神戸側は何らかのポストを用意する意向で、コーチなどとしてスタッフ入りを打診する見込み。宮本はユース世代の監督就任が可能なB級ライセンスを取得しており、指導者に転身する意欲も高い。走り続けた17年間で、現役生活は一区切りとなるが、刻み込んだ輝かしい軌跡は色あせない。宮本のサッカー人生は、まだまだ続く。
産経 2011.12.19『元日本代表主将・宮本が現役引退へ』
※神戸の元日本代表主将、宮本恒靖が今季限りで現役引退することが分かった。宮本は今季、自身最少となるリーグ戦4試合の出場にとどまり、神戸との契約が満了。タイリーグのクラブなどからオファーがあったが、17年間の現役生活にピリオドを打ち、引退を決意したものとみられる。宮本はガンバ大阪のユースから1995年にトップ昇格。2000年にフル代表デビューし、2002年の日韓大会、2006年のドイツ大会と2度のワールドカップ(W杯)に出場。両大会で主将を務めた。2006年末にオーストリア1部リーグのザルツブルクに移籍し、2009年から神戸でプレーしていた。
神戸 2011.12.19『ヴィッセル・宮本 きょう去就に言及』
※神戸の元日本代表DF宮本恒靖が19日に記者会見を開き、自ら来季以降の去就について表明することが明らかになった。今季限りでの現役引退を表明する可能性が高い。宮本は2002年の日韓ワールドカップ(W杯)、2006年のドイツW杯と2大会連続で主将を務めた。2006年末にはオーストリア1部・ザルツブルクに移籍。2009年から神戸に加入したが、3年目の今季はリーグ出場が自己最少の4試合にとどまり、最終戦後、「不本意な1年だった」と振り返っていた。神戸との契約は今季で満了するが、若手の模範となる練習態度や体調管理などに対するクラブ側の評価は高く、契約延長を提示。宮本も「年内には結論を出したい」と話していたが、現役続行や指導者への転身など去就に悩み抜き、ここまで契約は結ばれていなかった。
朝日 2011.12.19『サッカー元日本代表主将・宮本が引退へ』
※サッカーの元日本代表主将で神戸のDF宮本恒靖が、現役を引退することが分かった。この日、午後に神戸市内で会見する。宮本は1995年に18歳でガンバ大阪でデビューし、守備の要として2005年のリーグ初優勝に貢献した。2006年シーズン終了後にザルツブルク(オーストリア)に移籍し、2009年から神戸でプレーしていた。J1通算337試合に出場。ワールドカップ(W杯)では、史上初のベスト16に進出した2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と、2大会連続で日本代表の主将を務めた。国際Aマッチは、通算71試合3得点。プロ生活のかたわらで同志社大に通い卒業。DFとしては小柄な身長176センチながら、抜群の統率力や判断力、位置取りのうまさなどの頭脳的なプレーで人気を集めた。2002年W杯直前に鼻の骨を折ったが黒いフェースガードを着用して出場。「バットマン」とも呼ばれ、有名になった。
日刊スポーツ 2011.12.18『【神戸】宮本が19日に記者会見』
※神戸は、元日本代表DF宮本恒靖が19日に神戸市内で「来シーズン以降の契約」に関する記者会見を行うと発表した。宮本は2002年の日韓大会、2006年のドイツ大会のワールドカップ(W杯)に日本代表の主将として出場。1995年にガンバ大阪ユースからトップチームに昇格後は、2006年のオーストリア1部リーグのザルツブルク移籍を経て、2009年から神戸に加入した。今季は自己最少4試合の出場にとどまったが、チームはクラブ史上最高の9位に入った。
日刊スポーツ 2011.12.12『ツネ様にタイからオファ〜』
※神戸の元日本代表DF宮本恒靖が、タイのクラブからオファーを受けていることを明かした。11日、本拠地ホームズで開催されたファン感祭に参加。今季で契約満了となる宮本は、去就に関し「タイの上(位)の2つのチームから話を頂いている。いろんな選択肢の中から結論を出したい」と語った。来季ACL出場権を得る可能性の高いブリーラムPEAと、チョンブリとみられる。神戸残留が基本線だが「興味はあります。全くない話でもない」と揺れる気持ちを漏らした。年内には結論を出す方向だ。
日刊スポーツ 2011.12.9『元日本代表宮本30%減も神戸残留へ』
※3年契約を満了した神戸の元日本代表DF宮本恒靖が、来季への契約について初めて言及し、神戸残留を示唆した。「来年に関してはまだサインはしていないけれど、もう少し慎重に考えて年内には結論を出したい」と説明した。今季のリーグ出場は自己最少の4試合。関係者によると、先月末に提示された年俸は、今季の推定6000万円に対し約30%減となった。それでも練習への真剣な態度や将来の指導者としての期待は高く、高橋悠太強化部長は「これまで何度も話し合いは持っている。来週中に結論が出せれば」と残留に自信を見せた。
スポニチ 2011.12.9『今季出場わずか4試合…神戸の宮本が来週中に去就を決断!』
※契約延長オファーを提示されている神戸の元日本代表DF宮本が、自らの去就を来週中にも決断する。推定年俸8000万円の3年契約が終わる今季、出場は4試合にとどまり大減俸は避けられない状況。8日に神戸市内でのチーム練習に参加した34歳は「今は考えているとしか言えない」と話すにとどめた。複数クラブが獲得に興味を示している中、来週中までに予定されている神戸側との次回会談で方向性は固まりそうだ。
スポーツ報知 2011.12.3『ツネ様・宮本“もうひと花咲かせたい”現役続行…神戸』
※ガンバ大阪の下部組織コーチ、アンバサダーとしての復帰や他クラブからのオファーもあったが、年俸7000万円からの大幅ダウンで残留が濃厚。現役引退後も神戸か?



●長谷川健太(フリー→ガンバ大阪?)
【Check Point】
 西野監督退任騒動の際に、後任候補の最有力とされたのが長谷川氏だった。
【関連記事】
日刊スポーツ 2011.11.22『G大阪西野監督、最終戦待たず退任結論も』
※後任監督は昨年まで清水を率いた長谷川健太氏が最有力。外国人なら98年まで鹿島に所属した元ブラジル代表のジョルジーニョ氏(47)と、元大分監督のシャムスカ氏(46)も候補に挙がっている。
日刊スポーツ 2011.11.21『G大阪、西野氏後任は長谷川健太氏有力』
※西野監督の退任が決定した場合の後任には、昨年まで清水を率いた長谷川健太氏が最有力だ。日本代表監督候補にも挙がった西野監督の後を受ける人材は日本人に少なく、関係者も「(長谷川氏には)複数のクラブが話を持っていっている」と明かした。

●シャムスカ(→ガンバ大阪?)
【Check Point】
 西野監督退任騒動の際に、後任候補の1人として挙がったシャムスカ氏だが、現在は中東で監督生活を送っており、2億円近い資金を用意する必要がある。ファンミーティングで金森社長が「シャムスカは守備的」と発言していたこともあり、その後シャムスカ監督就任話は立ち消えとなった。
【関連記事】
日刊スポーツ 2011.11.22『G大阪西野監督、最終戦待たず退任結論も』
日刊スポーツ 2011.11.21『G大阪、西野氏後任は長谷川健太氏有力』
※西野監督の退任が決定した場合の後任には、外国人なら元大分監督のシャムスカ氏が候補だ。



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ガンバ大阪『コラムG』 目次
posted by マルセリーニョ・カリオカ at 21:52| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ガンバ大阪『コラムG』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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